長らく私は、肉体的にも感情的にも行き過ぎた、愛し合う若いカップルの情熱を丸ごと描きたいと思っていた。一種の狂気の愛、私や私の友人たちが生きてきたような人生の、その精髄を。いくつかのラブ・シーンを含む現代のメロドラマ。しかしこの映画は、一般映画ならばあからさまにエロティックな場面を含んではならぬという馬鹿げた禁止を超越する。誰だってセックスするのは好きなのに。私は商業的理由からであれ法的理由からであれ、これまで映画ではめったに許されなかったものを撮りたいのだ。愛におけるセックスの次元である。一組のカップルが惹かれあうのは、たいていの場合まさにここに原因があるのだから。出発点は自然な仕方で、強烈な情熱を示すこと。動物的で、遊びめいて、愉しく、泣きたくなるような。

予算は少なかったが、最新のカメラのおかげでこのカラー、シネスコ映画は3Dで撮られた。観客に映画の世界の中に入り込むような経験をしてもらえればと思う。長らく三次元の映像に魅せられてきた私は、アナログ、デジタル問わず3Dで写真を撮って来た。賭けられるものはより大きく、経験はより苦しみ多きものとなる。愛する人が死につつある場面を撮るとなれば。ずっと後になってそのイメージを見直す時、小さな箱の中に、その人の生命の一部がそこに保存されているような感覚に捉えられる。三次元の映像は、二次元のどんな映像よりも過去の一瞬をはるかにうまく捉える。子供じみて非論理的かもしれないが、そんな印象を与えてくれるのだ。この映画は、失われた愛の物語なので、3Dはノスタルジックな状態にある主人公と、より強く同一化しているような感覚を与えてくれる。同様にヴォイス・オーヴァーと音楽が、過去の行動においても、現在の思考においても途方に暮れている主人公の感情の動揺をよりよく表現する。

このような成果を得られたのは、これまでの私の作品以上に、俳優たち―アオミ、クララ、カールの勇気と信頼のおかげだ。彼女らは三人の主役を演じることに喜んで同意してくれた。彼らの関与、才能、カリスマのおかげで、この映画は私が望んでいた100倍も良くなった。観客の皆さんが、この映画を大きなスクリーンで、そして3Dで見られるという幸運を得られるのは、ユニークなヴァンサン・マラヴァル(Wild Bunch)のおかげだ。

私のすべての作品の中でこの映画は、人間存在について私がこれまでに知り得たことに最も近いものであり、また最もメランコリックなものだ。そしてこの映画は私に、喜びとエクスタシー、突発的出来事と過ちに満ちたこの短いトンネルをあなたがたと共有できる喜びを与えてくれる。
ギャスパー・フリオ・ノエ・マーフィー (監督)
1963年12月27日アルゼンチン・ブエノスアイレス生まれ。父は画家のルイス・フェリペ・ノエ。子供時代の数年間をニューヨークで過ごし、1976年フランスに移住。パリのエコール・ルイ・リュミエールで映画を学んだ後、スイスのサースフェーにあるヨーロッパ大学の映画科の客員教授となる。短編映画「Tintarella di luna」(85)、「Pulpe amère」(87)を経て、94年に馬肉を売る男とその娘の愛を独特の雰囲気で描いた中編映画『カルネ』で、カンヌ国際映画祭の批評家週間賞を受賞。続編で初の長編映画となる『カノン』(98)はアイエス.bの資金援助を得て完成、カンヌ映画祭でセンセーションを巻き起こす。その後、モニカ・ベルッチがレイプシーンを体当たりで演じた『アレックス』(02)もカンヌで正式上映され、更なる衝撃をもたらす。その後も、彼の愛する街TOKYOを舞台にしたバーチャル・トリップ・ムービー『エンター・ザ・ボイド』(10)、キューバの首都バハナの街を切り取るアンソロジー『セブン・デイズ・イン・バハナ』(12)の1編「金曜『儀式』」と、世界の映画ファンを驚愕させ続けるフランス映画界の鬼才である。